アルメニア人虐殺博物館 The Armenian Genocide Museum-Institute  はエレバンのツィツェルナカベルトの丘の上にある、1915年オスマントルコで起きたアルメニア人大虐殺に関する資料館。公園内のアルメニア人虐殺犠牲者を追悼したモニュメントの近くにある。

モニュメント外壁側に捧げられた花輪。

 

モニュメント内部には火が灯され平日でも多くの人が献花していた。

 

アルメニア人虐殺(アルメニアじんぎゃくさつ)は、19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺などにより死亡した事件。ヨーロッパ諸国では、特に第一次世界大戦に起きたものをオスマン帝国政府による計画的で組織的な虐殺と見る意見が大勢である。それによれば、この一連の事件は「アルメニア人ジェノサイド」と呼ばれ、21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な継承国であるトルコは国際的に非難されている。トルコ政府は、その計画性や組織性を認めていない。 (wikipediaより引用) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA

 

資料館には100年前の大虐殺のものに加えそれ以前にも近隣民族に迫害されていたことの歴史なども展示されていた。

アルメニアは首都エレバンなどはとても治安がよく感じるが、今も近隣国とは対立が続いておりいつ何がおこるか分からないという不安と他国への感情は日本人の私には計り知れないものだと思う。

 

2015年4月は虐殺からちょうど100年ということで様々な式典が行われた。勿忘草が100周年のシンボルとなり滞在中もこのステッカーが店や車などに貼られているのをよく見かけた。

 

 

別日の夜エレバンのオペラハウスに人気演目の アヌッシュ Anoush を観劇しに行った。

 

アルメニアではオペラ鑑賞は日常的な娯楽とのこと。

 

開演前客席に座っているとアジア人は珍しいので前の席の地元の女の子グループが英語で話しかけてきた。アルメニア女性らしい整った顔立ちだけどまだ幼い雰囲気があり、歳を聞くと16歳とのこと。

その子達の一人が「アルメニア人の虐殺についてどう思いますか。」と尋ねてきて、虐殺記念館に行く前でまだ虐殺の詳細や真偽について詳しく知らない状態だったので、どう答えていいものか戸惑った末、「日本ではそういうことがあったことはほぼ知られていないので知った時はとても悲しい歴史だと思いました。」という簡単だが正直な気持ちを答えた。

 

日本人の私の立場からしたら演劇を観に行った時に後ろの席にいた外国の人に「日本に落とされた原爆についてどう思いますか?」と聞くような感覚かと漠然と思った。しかもそれを16歳の女の子がまっすぐな目で聞いてくるということに、色々な気持ちが去来した。

私ももっと世界の歴史と自分の国の歴史をちゃんと学ばないといけないと思った。

 

終劇後のカーテンコールではみんな自由に写真を撮っていた。